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★ いま世界で(48) 離散パレスチナ人 帰れぬ故郷 孫に託された鍵 豊田直巳 2004年12月3日 十一月十一日、世界の耳目が集まる中、アラファト議長が亡くなった。彼はイスラエルやアメリカから「テロリストの親玉」呼ばわりされたが、何度も死地を潜(くぐ)り抜けた不死鳥として、パレスチナ人だけでなくアラブ諸国の人々にとっても、カリスマ性を備えた英雄であり、国家を持たないパレスチナ人のシンボルであった。議長の周囲の指導者たちを次々と暗殺してきたイスラエルも、アラファトを殺すことはできなかった。 そのアラファトが永遠の眠りについたことで、一時代が終わったと世界の多くの人々が思っているに違いない。そして多くの識者が、アラファト後のパレスチナを語る。 しかし、世界の目がパレスチナの「自治区」にばかり注がれる中で、忘れてはならないことがある。それは、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸とガザ地区以外の土地に暮らす多くの「ディアスポラ(離散)のパレスチナ人たち」の存在だ。 自治区外のアラブ諸国等に暮らすパレスチナ人は約六百万人。これは全パレスチナ人の三分の二にあたる。このうち二百五十万人が、一九四八年のイスラエル建国によってパレスチナ人がその土地を奪われて以来半世紀余を経た現在も、難民キャンプでの生活を余儀なくされている。 アラファトは一九九三年のイスラエルとの「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)後、パレスチナ自治政府の「プレジデント」(大統領)に収まった。しかし彼は、パレスチナ自治区の人々だけでなく、全パレスチナ人を代表するPLO(パレスチナ解放機構)の議長でもあったのだ。 確かにアラファトは、イスラエルとの交渉で、パレスチナの地への「帰還の権利」を譲り渡したわけではない。しかし、帰還問題をあいまいにしたままオスロ合意が成立したことで、自治区外に暮らすパレスチナ人たちは、自分たちがPLOから、そしてアラファトから見捨てられたように感じていたこともまた事実である。 「“アラファト共和国”(自治区)になんか行かないよ。だって私の故郷はヨルダン川西岸でもガザ地区でもないのだから」。一九九五年、オスロ合意後のパレスチナ難民たちの取材で、五年ぶりに再会したマタル老人は声を荒げた。 一九四八年、現在の地図ではイスラエル領内となっている港町アッカの郊外で農業を営んでいた彼は、数日の戦闘が終わったら戻るつもりで、鍵を掛けて自宅を出た。しかし、以来半世紀、彼はレバノン南部のラシャディエ難民キャンプで、わずか数十キロしか離れていない家に一度として戻ることができないまま、暮らし続けてきたのだ。 帰郷の夢はついにかなわず、マタル老人は今、キャンプに隣接した、地中海を望む墓地に眠る。キャンプには妻と、そこで育った息子たちの家族が残されたが、左官職人の次男にも、歯科医師の四男にも仕事はない。長男の家族はリビアに、三男も家族を連れてアラブ首長国連邦に出稼ぎに出たままだ。 庭にオリーブの木が植えられていたというマタル老人の家はもう、その跡形さえとどめていないのかもしれない。しかし、その家の鍵は、彼の孫たちが今も大切にあずかっている。 ★ いま世界で(35) イラク・サマワ 「敵」「味方」問わぬ被爆の悲劇 豊田直巳 2004年9月3日 自衛隊が駐屯するイラク南部サマワ市のムサンナ産科小児科病院。アブデル・アミール医師が「こんな赤ちゃんを見たのは初めて。イラクで以上と言うだけでなく、世界でも珍しいことだよ」と言って、一枚の写真を見せてくれた。 そこには、股がなく一本足のようになった下半身の先に小さな「足首」がついている生後間もない赤ちゃんが写っていた。「人魚のような赤ちゃん」と余白に書き込みがしてある。「おそらく(母親が妊娠中に)放射線を浴びたか、何らかの化学物質の影響ではないか」とアブデル医師は考えている。 ムビーン・アル・ムーサ院長も「(イラク)戦争の後、異常がある赤ちゃんの出産や異常分娩の割合が上昇しました。免疫力が落ちて、はしかなどの感染症にかかる子どもが急増し、新しいタイプの白血病やガンを発症する子どももいます」と話す。「理由ははっきりとは分かりませんが、これまでこんなことはなかったのだから、戦争と関係があるのは間違いないと思います」。しかし、病気の原因を詳しく調べようにも、現在のイラクには、そのための検査機器すらない。 「戦争との関係」は、思わぬところで明らかになった。昨年8月までサマワに派遣され、体調不良を訴えている帰還米兵9人の尿検査をしたところ、4人から劣化ウランが、その4人を含む7人から天然には存在しないウラン236が検出されたと、アメリカの日刊紙『ニューヨーク・デイリー・ニュース』がこの4月に報じたのである。 「今でも頭痛がします。体力がなくなり、睡眠、排尿も以上です」。7月、アグスティン・マトス軍曹はニューヨークの自宅で私に語った。彼の尿からも劣化ウランが検出されていた。 米軍は、サマワで劣化ウラン弾を使用したことを今は認めている。私自身もサマワ市内の2カ所で、劣化ウラン弾によって破壊され、放置されたままになっている旧イラク軍の高射砲を確認していた。 しかし、マトス軍曹はイラクで従軍中、米軍が劣化ウラン弾を使用していることも、その危険性についても知らされることはなかったという。だから、「私たちはサマワにいる間、マスクを着けることもありませんでした」と彼は言った。 米兵たちだけではない。そこに暮らす農民たちも何も知らされてはいなかった。そして日本の自衛隊員も。 「(自衛隊派遣)前の何回かの調査で、この辺の地域は基本的に人体に影響がでるような結果は出ていない、データについてはほとんど自然のものと変わらないと。(劣化ウランの有無については)確認は取れていないと聞いてますけど」。私がサマワを訪れた3月11日、陸上自衛隊現地広報担当の清田安志・1等陸佐はそう語っていた。 イラク戦争は、「敵」「味方」を問わず新たな被曝(ひばく)者と悲劇を生み出しながら、今もなお続いている。 ★ いま世界で(22) イラク 息子の匂い…抱きしめる母親 豊田直巳 2004年6月4日 アメリカ兵によるイラク人収容者への拷問、虐待、暴行の数々が明らかになりつつあるバグダッド郊外のアブグレイブ収容所。私がバグダッドに滞在していた三月、その門前にはいつも百人を超す人々が集まっていた。理由すら不明のままに囚われている家族の安否を確かめ、また面会を求めるためだ。遠く北部のモスルから来た父親。配給食糧を売って交通費を工面した妻。「ただの農民なのに家族を連れて行った」と怒る農夫。 その中に十九歳の息子オマルとの面会を求めてやってきた母、サウサン・アジーズさんもいた。三月下旬のこの日はアラブ社会の「母の幸せの日」。サウサンさんは前夜から、息子に食べさせようとピザを焼き、アラブ菓子を作り、着替えも用意した。しかし、昨年十二月十四日にアメリカ兵に拘束されて以来、面会できたのは一回。今日も会えるかどうかわからないと心配する。 英語のできる夫が米軍と交渉する時間が限りなく長い。「日に三度もシャワーを浴びるほど清潔好きだった息子なのに、今は週に二本のペットボトルの水しか与えられていないの」とサウサンさんは涙ぐむ。前回の面会時に自分も収容所のトイレを借りようとしたが、あまりに不衛生で使えなかったと話す。「汚物が便器の周囲にまで溢れているの」。フセイン政権時代の刑務所を、そのまま収容所として使用する米軍は、敷地内に沢山のテントを張り、定員をはるかに上回るイラク人を収容していた。 二時間後、運良く面会の許可は下りたが、サウサンさんの顔は晴れない。「だって十五分話したら、また別れなければならないんだから」。しかも、面会までさらに二時間、収容所内で待たされた。 オマルは美術学校の生徒で、ファッションに関心を寄せるいまどきの若者。それがアメリカ兵が配る広報誌を二冊くれという意味で指を二本立てたばかりに、三カ月以上も拘留されてしまったというのだ。「アメリカ兵は指二本を勝利のVサインだと勘違いして、『サダム殉教者軍団』のメンバーだと決め付けて連れ去った」という。信じがたい理由だが、占領下にある現在のイラクではさもありなんと思う。息子を道端で逮捕して以降、米軍は家宅捜索にすら来ないと、父親はアメリカ兵の言いがかり的な逮捕に憤っていた。 五月二十四日、ブッシュ米大統領は突然、このアブグレイブ収容所の取り壊しを表明した。しかし、イラクには同様の収容所が国内各地にある。収容者への拷問や虐待の事実が発覚するまで、裁判も受けられずに収容されているイラク人は一万八千人に上るとも言われていた。 面会を終えたサウサンさんは、収容所内でオマルが使っていたタオルを受け取ってきた。シャワーも浴びられないため悪臭がする。「でも、オマルの匂いがするの」とサウサンさんはそのタオルを抱きしめた。 ★ いま世界で(9) イラク・バグダッド 占領軍という新たな「独裁者」 三週間にわたった米英軍の猛烈な爆撃が止んだ二〇〇三年四月九日、米軍は大型戦車を先頭に無数の装甲車を連ねて整然とバグダッド市内中心部に入城した。そして海外のカメラマンが周囲を取り囲むのを待っていたかのように、フセイン大統領の銅像を特殊な装甲車で引き倒した。 |